1998年の歴史


1998.11.21(土) 打ち上げ

本山のRoppa で打ち上げを行った。一応「ファン感謝デー」なる題目がついていたらしい(でも割り勘)。当日きてくれたのはメンバーの他に小松さんなど合計12人(多分)。非常におもしろい飲み会だった。よく飲んでいたのはJとN、Kあたりか。隣の客(いまぴー)ともからんでたし。2次会は川名の「7丁目の夕焼け」でカラオケだったが、店に着いたのは深夜1時頃。解散したのは3時頃だった。またこういった機会があったらみんなでわいわいやりたいものである。
この日が、1998年の花の虜最後の活動であった。これ以降、長い冬眠期間に突入することになる。

1998.11.8(日) 名大祭秋祭ABCライブ

恒例の名大祭ABCに出演。今回もトップバッター。ところが、照明がお粗末で、なんとふつうの蛍光灯。しかも客席も明るかったので、なんかスタジオでやってる雰囲気だった。途中近藤が「明かりがついていてどうも緊張しない。」とMC。そうしたらスタッフが客席の明かりを消した。いったいどうなってんの?また、今回初めてアンケートをお願いしました。協力してくれたみなさん、どうもありがとう。曲は、少し時間オーバーだったが、全部で7曲を披露した。
  1. Pure – The Way I Go –
  2. 旅立ちの標
  3. Everyday
  4. こころ
  5. Sunny Road
  6. 果てなき夜に包まれて
  7. シュークリーム

1998.10.25(日) ELL:ロック子どもの日

大須のELLにて、ライブを行う。ライブハウスでやるのは初めてで、メンバー全員緊張気味。この日のイベントには全部で6バンドが出場。順番はなんと最後。今回は新曲2曲を含む全7曲を披露。
  1. ほたる
  2. 果てなき夜に包まれて
  3. Happiness
  4. 時間のメロディー
  5. Sunny Road
  6. 凡人
  7. My Sweet

1998.10.4(日) 小牧のスタジオ SMOKY

この日、初めて小牧の SMOKY というスタジオで練習。今までいろいろなところで練習してきたけど、ここも結構やりやすい。これで、普段は小牧で、夜遅いときは一宮で、と使い分けをするようになった。

1998.8.9 3rdライブ

若宮大通公園にて、ライブを行った。やった曲は2曲だけだが、初めて丸裸でライブを行ったことで少しは度胸がついたかも。しかしあとから演奏を聴いてみると、とってもテンポが速い。よく指が動いたものだ、と感心している暇もなく、次のライブの予定が決定する。ライブで演奏したのは、以下の2曲。
  1. ほたる
  2. PURE -The Way I Go-

1998.6.14 セカンドライブ

名古屋大学大学祭にて、ライブを行う。照る照る坊主の願いもむなしくあいにくの雨模様で、一時は中止決定が出されたが、その5分後に一転して開催の決定が出された。時間も押しているので当初予定していた曲をカットしてライブに望む。しかし、音のテストの時に何か1曲適当にやって、と言われて、結局カットする予定だったビートルズをやった。曲順は以下の通り。
  1. (Can’t Buy Me Love)
  2. MEIDAI祭 ’98
  3. シュークリーム
  4. 果てなき夜に包まれて
  5. PURE -The Way I Go-
  6. 凡人

1998.5.11 ABCの抽選

この日、しとしと雨の降る金曜日の午後だった。名古屋大学共通教育棟A館に50近いバンドの代表者が集まり、6月に行われるABC(Amateur Band Concert)の出場をかけた抽選会が行われた。花の虜は、23番目の抽選。他のバンドが次々と落選していく中、見事当選を勝ち取った。

1998.5.10 小松さん登場

ヴォーカルの近藤の同僚である小松さんが、練習を見学に来る。なんかものすごい機材を持っている。以前からバンドのレコーディングをしてみたかった、という小松さん。そしてもっといい音でレコーディングを、という花の虜。双方の利害が一致した。小松さん、よろしくお願いします!

1998.4.12 セカンドアルバム「ポケット」完成

大輔がジャケットを完成させ、ついにアルバムとして完成した。

1998.4.1 デモテープ完成

近藤、伊藤のミックスダウンで、テープ自体が完成した。後はジャケットを付けるだけである。

1998.2.15 ミルク完成

この日、一宮のミュージックポケットに集まった近藤、伊藤、大輔の3人で、ネコのキモチ、ミルクのレコーディングと歌入れを行う。しかしネコのキモチはボツ。かろうじてミルクが生き残った。それでもコーラスを後日入れ直すなど、かなり大変だった。その後は何とか軌道に乗り、順調とまでは行かないけれど、それなりにレコーディングが進んだ。

1998.2 レコーディングがうまくいかず、危機に。

何度も取り直しをしてきたレコーディングだが、ここに来て問題が浮上。まず4人が忙しくてそろわない。何とかがんばって、とにかく3人は集めてレコーディングを行っていた。

1998.1 セカンドアルバムのレコーディングを本格的に開始

セカンドアルバムのレコーディングを本格的に行い始める。実は年末に録音したテープは何故かすべてのびてしまっていて、聞けるものではなかった。ここから、長いレコーディングが始まる。